うわさの舞台裏

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【愛川欽也】かげで泣くフライデーされた愛人・任漢香との真相+会見で逆切れうつみ宮土理

      2015/05/21

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夫の愛川欽也さんの死後初めて公に顔をみせた、妻・うつみ宮土理さんが
開いた会見が「逆切れ会見」となってしまい、驚かされましたが、
その背景には複雑に絡み合った事情というものがあったようです。

 

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略奪愛から仮面夫婦へ

ことの始まりは1972年の音楽番組『きんきんケロンパ歌謡曲』(テレビ東京系)
の司会を共に務めることとなり、1978年に結婚。

当時の愛川さんには妻子がおり、うつみさんと入籍したのは
前妻との離婚が成立した翌日のことでした。

そのため“略奪婚”と騒がれたこともあり、
うつみさんは1年くらい仕事ができなかった時期があったということですが、
その後は上手く夫婦での共演をしたりして“おしどり夫婦”として
長い間芸能界を生きてきました。

2000年には『ナイスカップル賞』にも選ばれました。

その一方では、お酒もギャンブルもやらない愛川さんですが、
女性問題についてだけはうつみさんを悩ませ続けてきたといいます。

『劇団キンキン塾』を立ち上げてからというもの、“舞台稽古”を理由に
家に帰らないこともしばしばあったようです。

2003年には23歳年下のマネージャーとの関係をフライデーされました。

さらに決定的だったのは、2007年に劇団キンキン塾所属の44歳年下の女優、
任漢香さんとの連夜の密会が写真週刊誌に報じられることとなります。

ちょうどその時、韓流ドラマにハマっていた妻のうつみさんは、
韓国に3ヶ月の短期留学の真っ最中でしたが、報道の知らせ受け
世間にはそんな夫のことを「あの年で女性との浮き名を流すなんてカッコいい」と
公言し、器の大きい妻を印象づけ、余裕をかますのでした。

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しかし、実際は愛川さんとうつみさんとの生活は
家庭内別居状態であるというのが事の真相だといわれており、
一方の任さんとの関係はますます深くなっていったといいます。

 

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愛人宅に通う晩年の日々

愛人の立場として、愛川さんの最後を看取ることができなかった任漢香さん。

5月の連休明け、任さんの父親が『女性セブン』の取材に対して
愛川さんと彼女のこれまでの事実を語ってくれたというのです。

兵庫県の六甲山地の麓に住む任さんの父親は、1度東京で愛川さんと会い、
その当時を振り返り、「娘は愛川さんにとても可愛がられていて、大事にされていた」
と語ったといいます。

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任さんも愛川さんをとても尊敬していて、慕っていたとも・・・

その“愛の証”ともいうべき任さんが住んでいる東京のマンションは、
4年前に愛川さんが買ってくれたもので、
しかも名義関係はすべて任さんの名前にしていたといいます。

愛川さんは、それだけではなく女優、そして人間として成長させるためにできる
あらゆることを任さんにしてあげたとそうです。

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また愛川さんは、任さんに自分の遺志を継いで欲しくて
演技だけではなく、日本の歴史や憲法のことなども教えたりして、
任さんもそれに応えたいと一生懸命だったといいます。

愛川さん亡き今となっては、喪失感は計り知れなく
自暴自棄にさえなったこともあったようです。

やはり極め付きは、愛川さんの死を、
後になって事務所から聞かされたことだといいます。

無論、死に目にだって会えているわけがなく、
葬式は親族だけの密葬ということもありましたが、
うつみさんが仕切ったこの儀式に、
愛人である自分が参加できるはずもありません。

晩年の愛川さんは、大半を任さんの自宅で過ごしていたことは知りながらも
どうすることもできなく、苦い思いを噛みしめていたうつみさん。

せめて最後だけでも、うつみさんは妻としてのプライドを守りたかったようだと
彼女をよく知る芸能関係者はそう語ったといいます。

断固として「愛人は入れたくなかった」という強い気持ちが
密葬という形にした理由でもあったのだそうです。

 

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