【西川史子】元夫・福本亜細亜氏との離婚の火種は「生活費60万円発言」で大炎上!
2015/06/10
昨年離婚した女医でタレントの西川史子さんが、
27日放送の『解決! ナイナイアンサー』(日本テレビ系)に出演し、
その時の告白内容を巡って視聴者から反感を買っていることがわかりました。
コトの発端となった告白とはこのような内容です。
西川さんは結婚後、家賃は夫が担当し、
その上生活費として月60万円渡されていたようです。
やがて、「そんなにかからないんじゃない?」と言われ
10万円ずつ減らされていったのだそうです。
毎日ごはんを作っていたわけじゃない西川さんは、
「たしかに食材買うのに60万円はかからない」と
旦那の言う通りだと思っていました。
・・・としながらも、ナゼか
家事をちゃんとやっていないと思われているのかと思ってしまい
減額されたことに固執していったといいます。
そのうちに、このことがキッカケで
ケンカが絶えなくなり、2人の仲は険悪になっていったのだそうです。
これに対するネット上の反応は
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「毎日ご飯作ったとしても、60万円もかからねーよ!」「浮世離れしすぎ。イラッとした」「西川先生は金額うんぬんよりも“減らされることがツラい”と言いたかったんだろうけど、この発言はしゃくに障る」「『60万円は多すぎる』っていう元旦那が正しい。西川先生は結婚に向いてない」と、否定的な声が相次いでいる。
【引用元:日刊サイゾー】
西川さんといえば、父親が整形外科医で裕福な家庭で育った過去を持つ
性悪で高慢&セレブキャラでブレークしたタレントですよね。
西川さんは、レギュラー出演している
日曜日の9時54分~生放送のテレビ番組『サンデー・ジャポン』(TBS系)
でその変貌の過程が見て取れるように、
もともとの売り出しキャラを、婚約発表を境に封印し、
さらに1年前の離婚からはすっかりトーンが柔らかくなり、
自身の寂しい生活などの自虐ネタさえ語るようになっていました。
かつては高慢で歯に衣着せない強気発言とか毒舌三昧だった西川さんが
スキャンダルに真っ当なご意見番的発言をするようになったことで、
徐々に好感度を獲得していき、
特に女性視聴者の共感を得られるようになっていたようです。
正義感あふれるご意見番キャラもようやく身近に感じられるようになり、
視聴者に浸透しつつあった今日この頃だったのに
とにかく『生活費に60万円』と生々しい数字は
世間の心を逆撫でしてしまったようなのです。
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西川史子の結婚生活→離婚
2010年2月の結婚から約4年間の結婚生活にピリオドを打った
西川さんと元旦那の福本亜細亜氏は2013年初めくらいから
離婚の話し合いを始めていたようです。
離婚原因の発端になったという「生活費」とはいったい?
そもそも「年収4000万以下の男性とは結婚しない」と豪語していた西川さんですが、
まあそれは芸能界を生き抜くための小道具ですからいいとして・・・
実際に元旦那の年収はというと、1000万円ほどだったようですね。
西川さんは自分も仕事をしているわけで、
以前のインタビューで4000万円X2以上だということは明らかです。
なのに家賃はそれより収入の少ない旦那が担当で、
その上生活費をもらうって・・・?
それはつまり、2人で出し合う共益金の半分を預かる、という意味なのでしょうか。
確かに発端は「生活費」から始まったことだったでしょうが、
彼女自身が「自分で結婚生活のハードルを上げてしまった」と告白しているように、
そのことがそもそもの理由のような気がするんですけどねぇ。
西川さん直筆の離婚報告のFAXにはこんなことが書いてあったようです。
「理想の家庭像」というのか、
自分自身の生い立ちから、思い込んでいる価値観、
例えば、家でごはんを家族と一緒に食べることがあたりまえだったとか、
頻繁に旅行に行くだとか、
そういうことを「こうあるべき」という言い方で
彼に求めていたのだそうです。
加えて西川さんは、
夫への感謝の気持ちをこんな風に記しています。
「大好きで結婚したのに、常に3歩前を歩いてしまう性格の私は、可愛い奥さんになれませんでした。こんな私をお嫁さんにしてくれた彼には、心から心から感謝しています」
【引用元:Business Journal 2014.01.12】
当時の西川さんは、自身に訪れた事態を真摯に受け止めていて、
かわいそうになるくらい反省もしているところとか
人間としてとってもかわいいと思うし、
これで彼女も色々気が付いて変わったことだろうから、
かなり辛かったでしょうが、良い経験をしたと思います。
元旦那の福本亜細亜氏は資産家のボンボン
元旦那の福本亜細亜氏はもともと資産家のボンボンで、
子供の頃は野球少年だったそうです。
リトルリーグでの活躍から名門・日大一高を経て東北福祉大学へ進み
プロを目指しますが叶いませんでした。
次はプロゴルファーに挑戦するために渡米しますが、これも中途で断念。
帰国後、巨人・桑田投手の運転手をしていたこともありました。
その次には政治の世界に進みます。
約5年間、衆議院議員・平沢勝栄さんの秘書を務めた後、
お父さんが地元の有力者ということもあってか、葛飾区議に立候補して初当選。
区議は1期務め、今度は自民党公認候補として参議院選挙に立候補→落選。
この選挙で、公職選挙法違反容疑で事務所を家宅捜索され、
政治の世界から手を引きます。
そして父親の経営する特別養護老人ホームと葬祭場の役員に収まります。
西川さんとは、この後知人の紹介で知り合うのです。
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